センター街について

「渋谷センター街」は言わずと知れた若年層の通行が多い商店街です。
飲食店やファーストフードを始めとしたゲームセンターやレコード店、ファッション施設などが営業しています。
「渋谷センター街」という名称の由来は明らかではありませんが、「渋谷の中央に位置する商店街」ということで「渋谷センター街」と呼ばれるようになったという一説があります。
現在では、この「渋谷センター街」を通り、スクランブル交差点方面へと直接抜けることが出来ますが、1955年(昭和30年)以前は、現在の「渋谷センター街」一帯には住宅や商店街が密集しており、渋谷駅前まで直接つながる通りはありませんでした。
その街路を繋げるため、かつての宇田川を暗渠にしていたところに「渋谷センター街」は作られました。
「渋谷センター街」が作られたことにより、文化村通りや井の頭通り、宇田川通りなどの隣接した通りに位置する商店街も、この「渋谷センター街」に含まれることとなりました。
2011年(平成23年)に、「渋谷センター街」のメインストリートが《バスケットボールストリート》通称バスケ通りに改名されました。
もともと「渋谷センター街」には若者が多く集まっていましたが、一時期不良と見られる若者や怪しい外国人などが出没したため、警察の取り締まりが強化されました。警察のパトロールの強化や美化活動により、「渋谷センター街」の治安は改善されましたが、「怖い・危ない場所」としてのイメージは依然として残っていました。
その「渋谷センター街」に対するマイナスなイメージを取り払うため、若者たちを象徴した『情熱』『エネルギー』という言葉と、『スポーツ』というクリーンなイメージを結びつけて、渋谷という街の持ち味である“若者の文化”を表現できるのは“バスケットボール”だと判断され、「渋谷センター街」のメインストリートが《バスケットボールストリート》と名付けられたのです。
また、この「渋谷センター街」の通じる道先に、バスケの聖地として有名な国立代々木競技場第二体育館があることも理由の一つだとされています。
この改名されたメイン通りは、昔は“有楽街”と呼ばれ、多くの来訪者に親しまれていました。 また、このメイン通りから道幅が狭くなった通りを《センターこみち》と呼びます。
この《センターこみち》には、今も有楽街の面影を残す多くの飲食店や料亭が立ち並んでいます。
そして、「渋谷センター街」を守る宇田川交番も、「渋谷センター街」を代表する象徴物の一つとされています。その理由は、1985年(昭和60年)に有名な建築家である鈴木エドワードさんによって設計された交番の建物の形にあります。
まるで船の船先のような形をしている宇田川交番の建物は、Y字路の角地にあり、その角地を活かすために船先のような現在の形にデザインされました。
若者のファッション・音楽・文化・国際性など、様々なトレンド情報を配信している「渋谷センター街」。
通りを歩けば、「渋谷センター街」に設置されている街路灯スピーカーから、音楽や街からのご案内情報が流れてきます。特に最近では不慮の事故を未然に防ぐ対策として、消防署などから火災予防・救急医療についてのお知らせや、警察署からは防犯・交通安全の告知などが放送されています。
そして「渋谷センター街」といえば、夜の治安問題がよくニュースなどで取り上げられていました。キャッチやスカウト行為などの違法行為が頻繁に起きていたからです。
そんな夜の薄暗い「渋谷センター街」の通りを歩いて帰宅するOLや塾帰りの学生さんも多いことから、メイン通りと井の頭通りに街路灯が設置されました。
街路灯は、ただのライトボックスではなく、各商店街の告知やポスターなどを設置したボックススペースとしても活用されています。
この街路灯には「渋谷センター街」のイベント情報などを載せて告知することも行っており、毎年9月になると「渋谷ねぶた祭り」の広告やポスターでいっぱいになります。